« オレオレ | Blogトップへ戻る | oh!夏休み »

2008年07月20日

大きな声で私は言いたい!

今日地下鉄に乗ろうとホームを歩いていた時に、ふと、二つの出来事が私の中でリンクしました。
そういう思考の浮遊のようなことはたまにあるのですが、これは大きな大きな声で言いたいと思いました。
こういう時に、私は自分がもっと有名人だったらなあ、、、と思います。
地位とか名誉とか財産とか誇りとかよりも、自分の言いたいことをたくさんの人に伝えられたらなーと思うのです。
なにを思ったかというと、、
一つは今、国立新美術館でやっているエミリー・ウングワレー展。母と先月末に見に行きました。オーストラリアの砂漠地帯に住むアボリジニの女性画家の展覧会。彼女は自分が見て育ってきたアルハルクラの風景と動植物と儀式の時に行うボディペインティングをモチーフにしたものしか描きません。それが1980年〜90年代の西洋美術の動きと同じなのです。接点ががまったくなかったのに。。そして彼女は70代から88歳で亡くなるまでに3,4千点の作品を描いているのです。
http://www.emily2008.jp/display.html

そしてもう一つは、7/13に渋谷で行われた渋谷巴里祭。これはO-west,O-nest,7thfloorの三会場同時に行われた唄と音楽の祭典です。オーガナイズはソワレという、たった一人のネオシャンソン歌手です。

http://homepage2.nifty.com/~MHH/paritop.htm

この二つが、なぜ今日の地下鉄でリンクしたか。
それは、どちらとも見た人がいたら分かるのかもしれませんが、たぶん、いないと思うので、頑張って書きます、、、
一言で言うと、彼女も彼も自分の感じたものしか形にしていないのです。憧れとか理想郷ではないのです。それが多くの人に伝わるものになる、普遍的なものを見せつける。とでも言いましょうか。

私は昔から自分に近いもの、似ているものよりも、自分が知らない視点で見た「世界」に惹かれるようです。それは、私の表現にはないと分かっているからこそ、絶対に手に入らない人の表現に焦がれ、尊敬するのです。
人によっては、特にテレビドラマや人間関係など、自分が理解しやすいものに安心感を求めるのかもしれません。好きな世界を簡単に真似して手に入れられる時代でもありますが、私は、自分が見て来なかった世界はそれで留めて、感動していたい。そしてそれを見せられる強さを持った、アートや音楽や文学や、さらに人間に惹かれるのです。自分も自分なりにそうでありたいと思えるのです。

エミリーに関しては、私は東京っ子で、絵が好きで描くのも好きなだけに、あのような大らかな絵は真似は出来ても、心底ぜったい描けません。だからこそ、涙が出そうになるほど感動するのです。東京にいながら、アボリジニの人々が住む大地を体感できるような、エミリーの視点でアルハルクラの草花や動物を見ているような気持ちになれるのです。
同じく渋谷巴里祭は、現代での日本のシャンソン歌手という枠にはおさまりきれない「ソワレ」という人物の頭の中に描かれた、現状では一夜限りの真実の世界なのではないかと思うのです。それはエミリーの「自分は見たものしか描かない」という絵が日本の東京の私の心を捉えたような感覚に似ているような気がするのです。
そしてイベントは素晴らしく、今の時代に輝くべき音楽ばかりが溢れていたのですから。

そういう、たった一人一人の超超個人的なこだわりに、たくさんの人がどんな捉え方であろうと集まり、感動し、ある時間を共有して、何かを感じ取って帰る、という一日がもてることで、今の日本・東京という場所に一瞬だけでも感謝できたりするのです。

渋谷巴里祭は終わってしまいましたが、エミリー・ウングワレー展は7月末までやってますので、ぜひ行ってみてくださいね。
今、私の部屋にはアボリジニの絵葉書と渋谷巴里祭のフライヤーが混ざり合って貼ってあります。それが2008年7月という「今」なのではないかと思うのでした。来週のことも来月のことも分かりません。ただ、今日はそんな風に思考が働いて、どれだけ伝わるか分からなくても、これを書こう!と思えたことがとても嬉しい一日でした。

usagiya : 2008年07月20日 01:37


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.chindon-usagiya.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/175


コメント

コメントを書く




保存しますか?


 
Copyright © On the Field Co.,Ltd. All Rights Reserved.